2013年2月2日土曜日
伊丹十三記念館・松山市東石井町で
中学時代からファンの伊丹十三さんの記念館が数年前に、一時期住んでいた松山にオープン。
悪くない。
彼の世界観は映画、文章などですでに十分に表現されつくしているが、記念館は新たなファンを作るとっかかりにはいいのでは。
天才は昔から天才なのだ。父親の万作についての企画展をしていたが、親も偉いわ。
賢くて、世界を知り、本業もすごくて、趣味もプロレベル。で、おしゃれなおじさんだったこういう人が今の日本にはなかなかいないのは残念ですね。
ジャギュアならぬベントレーを見ることができました。ロータスエランも見たかったが。
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四国
桜製作所/ジョージ・ナカシマ記念館・高松市牟礼町
日系ジョージ・ナカシマと讃岐民具連の幸せな出会いによって生まれたラウンジ・アームなどの家具はこっから生み出される。僕が高松にいたころはただの木工所のショールームだったのが「ジョージ・ナカシマ記念館」として生まれ変わっていてびっくり。ラウンジ・アームを見せて、「このイスいいやろ、いつか買おうぜ」と家内をのせるために連れてきたのだが、彼女のほうが惚れたみたい。背中と腰にすいつく良いイスです。
http://www.sakurashop.co.jp/products/nakashima/loungearm.htm
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家具
2013年1月31日木曜日
セクシーキャバクラ、パラパラ!高松市トキワ新町通りで
「セクシィーキャバクラ、パラパラ、お兄さんいかがですか」
と写真の綾菊の看板の下で良く声をかけられたものだ、高松で同僚とメシをくいに行くときに。
その声はなかなかすばらしく「パラパラ」の部分の声のはりが良かった。
暑い時も寒いときも、行きかう男性に声をかけていた客引きのおじさんは行きもしない僕たちに声を
かけるのだった。(ぼくらはこの先の「汁のみせ・おふくろ」というのによく行っていた。名前は何だが、いろんな
汁の種類があってうまい。独身者や単身赴任のおじさん達で今もにぎわう)
「あの人行きもしない俺らの顔、ええ加減覚えて声かけんのやめりゃぁええのにな」
「パラパラってなんやねん、今頃」
と同僚と言っていたが内心、あの声を夜飯のたびに聞くのが楽しみだったのだが。
5年ぶりくらいに高松にいき会いたかった(というか声を聞きたかった)人の一人はこのおじさん。
店は今でも同じ名前で看板がかかっているが、看板に電気はついておらず。
おじさんもいない。土曜なのに。
なんだか青春時代の思い出が1つ消えたような気がして寂しかった。
あのおじさんはどうなったんだろうか?
2012年5月7日月曜日
2012年2月19日日曜日
2012年2月15日水曜日
2011年7月27日水曜日
2011年5月21日土曜日
2011年5月4日水曜日
火を通せ・左京区静市で
生肉を子供に食わしてはいけない。「虫がわく」とか言って、昔の大人は子供にとって危険か危険でないかといえば当たる危険性のあるものを子供には与えなかった。今思えば「虫がわく」というよくわからん言葉で子供を言いくるめられるだけ、威厳がある大人だったのだろう。こんにゃく畑のゼリーの時も思ったが、低レベルな「保護者」を「保護」する社会は、判断力をますます弱らせ社会を駄目にする。ユッケファンとしては自己責任で食うから、頼むからユッケは残してほしいな。
2011年5月1日日曜日
机上の、、、京都市北区で
最近気になるもの「冒頭に震災の犠牲者、被災者のご冥福をいのります」という感じの言葉が国会の質問のでも、ネットショッピングのメールの案内にもかかれていること。ほんまに思って言っているのかしら?ビジネスレターの冒頭文に書かれる「おつかれさまです」みたいな機械的な言葉に感じてしまうのはひねてる僕だけか?言ったり書いたりしないとクレームをつける人がいるのかしら。東北の人にその心が届くのならいいけど。正直関西に住んでいる人間にとっては祈られてもなぁという感じ。マスな対象に思いを言葉で伝えるというのはとても難しい話です。
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京都 kyoto,
写真
2011年4月23日土曜日
2011年4月22日金曜日
仙台市若林区
忘れないうちにメモしておく、自分の中での地震仕事で気づいたこと
・幸不幸は相対的なもの。が、絶対的な物の見方をしないと幸せへのスタートは切れない。
家を失った人と話していると「私はまだいい、家族が死んでいないから」と話す被災者。僕からみれば十分つらい体験をしていると思うが「下」がいると思うから我慢できる。が、避難所の周りは普通の生活が営まれ「私だけ取り残されていると感じる。家財道具は8㎡にあるものしかないし」と話す被災者。「上」や「下」と比べる事でしか自分の立ち位置が分からないのは普段の生活でも同じだと思うが、被災地は衣食住もままならない状況で、よりその差がよりむき出しになる。どこかで「ここで満足するしかないのだ」と決めることでしか心のけりはつかない。
・幸不幸は相対的なもの。が、絶対的な物の見方をしないと幸せへのスタートは切れない。
家を失った人と話していると「私はまだいい、家族が死んでいないから」と話す被災者。僕からみれば十分つらい体験をしていると思うが「下」がいると思うから我慢できる。が、避難所の周りは普通の生活が営まれ「私だけ取り残されていると感じる。家財道具は8㎡にあるものしかないし」と話す被災者。「上」や「下」と比べる事でしか自分の立ち位置が分からないのは普段の生活でも同じだと思うが、被災地は衣食住もままならない状況で、よりその差がよりむき出しになる。どこかで「ここで満足するしかないのだ」と決めることでしか心のけりはつかない。
2011年3月16日水曜日
the earthquake changed the world.
0311を機に日本はずいぶん変わった。
1、原発の想定内でしかない安全性など隠されている情報が世の中にはたくさん有ることに
世間の人が気づいた
2、思ったより日本人からみても、日本人ははいい人たちだった。
3、略奪はしないが小市民的に合法的な買い占めをする人たちだった。
4、島国だからこそ独立を守れてきていたが、島国だからこそある災害に気づいた
5、豊かさと引き換えに多くのリスクを背負っていたことに気づいた
6、今、持つ者が持たざる者に行う当然の行為としての募金は偽善とかそういうものを
超えて気持ちいいものだった
7、国家の緊張状態を70年ぶりに体験、落ち着くことの大切さを知らなければならない。
底を知るということはいいことだ。あとは上がるしかないのだから。
この後にもいくつか地震がくるかもしれないし、原発が爆発するかもしれない。
が、なんとかなるだろう。
10年後くらいに「失ったものも多いですが、より多くのものを手に入れたね」と
いえるようになっていたらいいなぁ。
2011年2月20日日曜日
2011年2月15日火曜日
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